interview
2021/08/16

人が輝き自ら変わってく姿が、何よりも好き

キャリアコンサルタント/ファシリテーター
中嶌 ゆみさん

『仕事だけでなく、暮らしも家族も大切にしながらシナジーを生み出していける人を増やしたい!』

そんな想いを持って、大学生から会社員、産育休中のママなど幅広い方へのキャリア支援をされている中嶌ゆみさん。かつて月100時間の残業は当たり前、入院しても仕事のことが気になるようなワーカホリックだった中嶌さんがどのように変化し、現在に至ったのか、これまでの道のりと現在の想いを伺いました。

月100時間の残業は当たり前、仕事がとにかく楽しかった

子どもが生まれても働き続ける女性が10%程しかいなかった時代に、仕事と子育てを両立していた母の姿を見て育ったこともあり、女性でも働き続けるのが当たり前。できれば長く続けられる会社で働きたいと就活をする中、出てくる社員がみんな口を揃えて『うちの会社はいい!』と絶賛し、学歴関係なく女性も活躍し働けるリクルートエージェント(現在リクルート)に惚れ込み新卒で入社。

社風も人も素晴らしく、とにかく仕事が楽しい大阪時代、25歳で東京転勤になり、キャリアアドバイザーになってから月100時間の残業は当たり前。仕事柄さまざまな求人票を見ていたので、他社に比べて仕事のやりがいやお給料がいいのも知っていて、転職をする選択肢は浮かばなかった。そして、33歳で管理職となり、自分よりも年上の部下をもったことで、ちゃんとマネジメントしなければ、とより一層仕事に打ち込むようになる。


しかし、2年程たったある日、身体に限界がきて40度の高熱が下がらなくなってしまったのだ。足にはぶつぶつができ、爛れ始め、病院で血液検査をしたところ即入院をすることに。


それでも、検査をしながら先生に「いつ仕事に行けますか?」と聞くほど頭は仕事のことでいっぱいだった。


そんな姿を見て、故郷から上京してきた親に「会社を辞めてくれ」と言われ、このままでは良くないよねと今後の働き方について考えるようになる。

人と人をつなぐやりがいに目覚めた女将時代

そんなタイミングで、新しい組織メンバーの話が舞い込んだのだ。

当時のリクルートエージェントは、年間300人ペースで社員が増えていくような状況で、急拡大により人間関係の構築が充分にできにくく、社内のコミュニケーションがうまく機能しなくなっていた。

そんな状況を改善すべく、【ちゑや】という新たな秘密組織が立ち上がったのだ。メンバーは、もともと活動をしていた店主の上司、女将の中嶌さん、スタッフの3人。

人事でもない、どこの部署にも属さない立ち位置で、現場の声を拾ったり、社内の人と人をつなぐ風土をつくる仕事に携わることになる。

時には半被を着て、会議室をお祭りのように演出してイベントを開催したり、今は役員の方をゲストに招き、ダメダメだった若かりし頃の失敗談を語ってもらったり、社外の方やベテラン社員、いろいろな部署の人も巻き込んで、斜めの関係性をつくる。そんな人と人がつながることで、その人らしさを取り戻し、エンジンを燃やしながら自走できるサポートをすることにとてもやりがいを感じた。

37歳にして世の中の当たり前を知る

そして、37歳の時にまたしても大きな転機が訪れる。リクルートの再就職支援会社に2年の期限付きで応援出向に行くことになる。そこで、初めて自分の感覚が普通ではないことに気付いたのだ。それまでずっと22時頃まで残業するのは当たり前、定時に帰宅するのは年に数回、特別なイベントがある時くらいだった。


ところが、19時過ぎに電話をすると、「まだ仕事してるの?」と言われ、定時に帰宅してお風呂に入ってちゃんと生活をしている人たちをみて、これまで自分が当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことに気づく。


さらに、再就職支援という仕事を通して、これまで会社の中で懸命に働いてきた50代60代の方の会社都合の退職、そこから始まる再就職活動を目の当たりにする。多くが自らの意思での転職だったこれまでのキャリア支援とは違い、地元や人脈からの求人開拓、ハローワーク求人、勉強する、といった選択や、いろいろな人の人生に触れながらキャリアの伴走を毎週、毎月とする中で気持ちに変化が起き始めた。


結婚したばかりの時は、子どもはいつでも持てると思っていたけれど、
「いつまでも若くはないんだな、子どもがほしい」そんな想いが芽生える。

さらにそんなタイミングで、3.11の東日本大震災が起き

「本当にやりたいことをやらずに、人生を終えていいのだろうか」
「やりたいことをやった方がいいよね」

という気持ちが大きくなって、何も決めずに退職を決意した。

ライフスタイル&ワークシナジーを生んでいける人を増やしたい

退職後に不妊治療を開始。そんな中、リクルートのCSR事業として立ち上がったホンキの就職(現:WORKFIT(https://workfit.recruit.jp)の採用募集を知り、これはまさに自分がやりたいと思っていたことだ!と感じ妊活をしながら、事業に携わることになる。

(ホンキの就職 今はなき銀座のセミナールームの最終FTの回の記念写真)

と同時に、ゴールドマンサックスがCSR事業として立ち上げたひとり親の支援にも携わり、キャリアアドバイザーとしてじっくり1年間伴走し、キャリア支援する活動などにも携わった。

(ひとり親就労支援のカウンセリング 大きな会議室を個室にして面談。隣には託児もついてキャリアカウンセリング。親子で安心できる環境を整えて頂いていた)


現在、WORKFITでは就職活動にうまくいかず、ドリームクラッシュしかけて動けずにいる大学4年生をメイン対象にした就職支援プログラムのオンライン版を新たに開発するなど、こちらから一方的に伝えるだけではなく、仲間が変わる姿をみて、自分もできるのでは!と自信を回復し、前向きに次の一歩を踏み出す場作りやサポートを続けている。


「きっかけがあると人ってすごく変わる。ひとり親支援をしていた時に、母子シェルターに入って精神的にも追い詰められていた女性が、1年後のキャリア支援が終わるときには、政治家になってシングルマザーの支援をしていきたい!とまるで別人のように変わったこともあった。」


「でも、人は自分のことが一番わからないから、ちょっと誰かと話す、誰かと一緒に期日を決めるだけでも、変わるスピードは早くなる。大丈夫だよ、っていってもらうことで変われる人もいる。関わった人たちが、変わっていくBefore ⇨ Afterの姿を見るのが何よりもやりがいを感じるし、一番好き」と話す中嶌さん。


プライベートでは、40代で妊娠出産。不妊治療をしていた時は、もっと早くライフも含めて設計していれば、、、と後悔する気持ちもあったが、今はそんな自分の経験を踏まえて育休中のママや出産前の女性などにも、先々も見据えながらキャリアをデザインしていくサポートもしている。

「キャリア、というとまだ仕事のイメージが強いかもしれませんが、仕事だけではなく、暮らしや余暇、趣味や好きなこと、といった人生をトータルで相談できる場が限られているので、仕事も好き、だけど暮らしや家族も大切にしたい人が、それぞれがいい循環でシナジーを生んでいける人を増やしたい。」


「そして、人と人とが繋がり、一人ひとりがその人らしさを発揮しながら、相乗効果が生まれていく。そんなグループダイナミクスが生まれる場を作っていきたい。」

そう笑顔で語ってくださいました。

BOOK人生に影響を与えた本

キャリアコンサルタント/ファシリテーター
中嶌 ゆみさん

新卒でリクルートエージェント(現在リクルート)に入社。
当時、ミドルシニアの男性キャリアアドバイザーしかいない時代に、26歳で最年少の女性のキャリアアドバイザーとなる。

約10年間、個人の方の転職相談やキャリア支援に従事。 (これまで大学生からミドルシニアまで3000名以上のキャリア支援をしています。) 女性のお客様に特化したキャリアアドバイザー部署の立ち上げも経験。

33歳で管理職になり、社内の組織活性化の仕事を経て、再就職支援会社に出向。 37歳で当時最年少の女性キャリアカウンセラーとなる。この出向を機に、今後の人生を改めて見つめなおす。 仕事だけの人生でなく、限られた人生を自分らしく豊かに生きることを決意する。

退職後は、フリーランスのキャリアコンサルタント。

▶リクルートのCSR事業 WORK FITコアファシリテーター
▶ゴールドマンサックス・ギブズ・コミュニティ支援・ひとり親就労支援キャリアカウンセラー
▶研修講師として、大手企業様において、
入社3~4年目の若手社員や、30代のキャリアデザイン研修、女性活躍推進、
仕事と育児の両立支援等の社員のキャリア研修を多数実施。
▶ライフスタイル&ワークシナジー®ワ︎ ークショップやキャリアカウンセリングを主催

キャリアコンサルタント(国家資格)2016年取得
キャリアセミナー講師 ファシリテーター
GCDFキャリアカウンセラー 2010年12月取得
育休プチMBA認定ファシリテーター(神保町・大分)2020年


プライベートでは40代で妊娠出産。
現在、小学校1年生の男児と体力勝負な日々。。。
いわゆる小1の壁というものに向き合う新たな日常。
自らライフイベントにあわせた働き方の変化を体験中。
モットーは、楽しく発展途上中。